| 2005年4月の活動レポート
4月28日(木)
昼、公明党女性議員で環境の勉強会。講師は、環境・エネルギー総合研究所、所長の大庭みゆき氏。工学博士、環境省の環境カウンセラー等様々な職歴、委員をされている方である。
固い話かというと、実にチャーミングで、着ておられる服もピンクのノースリーブのワンピースに同じ色のジャケットという格好。そういうところも話を聞く側にとっては大事なポイントだと思う。
小学生の子供たちに環境教育を!という話から、食育の話になったり・・・。
特に印象的だったのは、「涼しさを味わうために、料理の工夫、器の工夫、調理の工夫がある」と。
もともとあった伝統の中には、こういったものが一杯詰まっていたはずなのに。
夜は、映画大国と言われているイランの映画の鑑賞。教授の話によると、イランの映画は主人公が過酷な条件を課せられることが多いんだそうだ。
今日の映画は1989年の作品。タイトルは「サイクリスト」。内容は、病気の妻の入院費、治療費のために、イラン人でさえ、働き口が見つからないところに、この主人公はアフガン人であるが、イランで働いて収入を得るのはとても、とても大変なことなのだ。
そこで、自転車を7日間、眠ることができず、ぶっ通しで乗り続けることができるか・・・。それを賭けてお金を得る話なのだ。内容は単純であるが、少しはイランの国のことを知る手助けになる気がした。
4月27日(水)
30年ぶりに献血を行いました。若い頃貧血でできませんでしたが、今日は大丈夫でした。
4月26日(火)
夜サザンクスで、まちづくりの講演会。昨年は筑後市制50周年記念事業として、前三重県知事の北川正恭さんであった。どれだけ情報を市民に提供するか、その必要性を話された。今年は黒川温泉の代表理事をされている小林茂喜氏。「人の前で話すのは慣れていませんから・・・」と汗だくで話してくださった。
元々黒川温泉は、療養温泉として位置付けられていたものを、Uターンして帰ってきた若者たちを中心に地域の人の手作りで今のような温泉地へ変えていった話がスライドを通して話された。筑後の地でも同じような手法で、というわけにはいかないかも知れないが、先進地の話をいろいろと聞いて、何を、どういう風にここ筑後で育ててゆけばいいのか考えさせられた。
4月25日(月)
末の息子が「僕がオムライスを作る」と言って台所に立った。もう6年も前になるだろうか・・・。
この息子が食べ終わった食器をすすんで洗ってくれていた時、夫が「男はそんなことせんでもいい」等と言ったものだから、私と夫は大喧嘩になったことがあった。
その息子は決してその夫の言葉通りでなくて、こうして台所に立つ姿が普通でなくてはいけないのだ。できたオムライスを食べながら、「お母さんが今一番食べたいものは何?母の日にはごちそうする。食べ放題、飲み放題でいいからね」初給料が入るのだ。
4月24日(日)
午前中、さわやかグループによる廃品回収。ご協力ありがとうございました。
息子は高校時代の三年間を剣道部で過ごした。息子たちの学年で一人はレギュラーだったけれど、その他全員レギュラー入りできなかったけれど、保護者の団結はどこよりも強いのが誇りである。2〜3ヶ月に一度、地域を回して懇親会を行っている。
部員はあちこちから集まっていて、矢部の人、黒木の人、星野の人、広川の人、三橋、三潴、大和町等と広範囲である。
今日は黒木の大藤の下に集合した。実は実際こうやって藤の下でゆっくり楽しんだのは初めての経験であった。
藤の香りというものも初めて味わった。
藤の歴史は古くて、樹齢160年。毎年、毎年美しい花を見れるのも、町の職員、植木屋さんのご苦労があってのことだと伺った。(あの長く下に垂れる藤の花は、実は一つ一つ花の向きを下に変えるんだとか)黒木町出身のIさんの人柄と人脈の証か、原酒の差し入れ、いも饅頭の差し入れありと、気づいた時はすでに何時間も経っていた。
帰りはグリーンピアのお湯(これも初めて)に入ってきました。
4月23日(土)
92歳のNさんが老衰のため死去。若い頃は音楽の先生であったというNさんは、いつもにこにこ顔であった。知り合った頃、すでにご主人はおられなかったが、苦労して二人の子どもさんを育ててこられた。
遺影のお顔は、やはりにこにこ顔でした。
4月22日(金)
18日、編集会議の折、訂正すべきところや字の誤り等について、もう一度委員さんに集まって頂いてチェック。
4月20日(水)
総務・文教委員会。3月議会で議員提案の定数を減らすことについて継続審議にしてあったものについて今後の考え方について話し合う。
4月19日(火)
今日も委員長と一緒に一部残っていた原稿についてチェック。
全員協議会を実施し、意見を聞いた上で今後の判断の材料にすることで全員一致。
4月18日(月)
「3月議会」の議会だよりの発行に向けての編集委員会。〆切には、全ての原稿が集まり一安心。今日は、議事録を見ながら全員の原稿を声を出し合って読み、チェック。午前10時から午後の2時過ぎまでかかってしまった。
4月15日(金)
同志の方が亡くなられた。友の幸福のためであれば、自分の病も押して走ってこられた方である。
告別式は友人葬出会ったが、たくさんの方が別れに見えていた。昨夜の通夜も非常に多かったんだそうだ。名誉とか、役職でなく、こうして動いてくださったことに頭が下がります。
4月14日(木)
夜、大谷短大の生涯学習の一つ、アジアの映画を観る講座に出かける。何故今アジア映画が優れているのかを映画を鑑賞しながら読み解いていく、という内容である。
今日の作品は、戦前の日本の作品。監督は忘れたが、28歳で亡くなった人だそうだ。
「人情・紙風船」というタイトル。
出演者は前進座の人たち。
講座を受け持つ教授に言わせると、ここの映画のセリフの言い回し等、本当に普通の言い方なのだそうだ。杉村春子さん等思い起こす。
舞台では、演出。映画では監督次第?
ストーリーは、長屋で士が首吊り自殺をした!というところからスタート。
次回が楽しみである。
4月13日(水)
朝、父親が働き始めたばかりの息子に話し掛けている。「仕事はどうだ」「仕事は楽しいだけではいけない。仕事が喜びに感じる様でなければいけない。だから楽しくないからと言って辞めたくなる」
4月10日(日)〜12日(火)
T会の仲間で激安ツアー(1万円)。2泊3日で奈良の吉野の桜を見てくる。行きも帰りも船泊(船での風呂もいいものだ)。ご夫婦連れも何組かある。旅慣れた方ばかりのようである。平均年齢は60数歳か?
奈良吉野の桜は見事であった。案内もなくてちょっと旅慣れていないと、時間を有効に使うのは大変。
吉野の山は、後醍醐天皇が最後を過ごされ亡くなられたところ。楠木正行等が、亡き天皇と次の天皇である村上天皇に、今生の別れを告げて戦いの出発をしたところであるという、如意輪寺を訪ねる。決死の覚悟の様子が胸を打つ。
―かゑらじと かねておもえば梓弓 なき数の入る名をぞとゞむる―
(今度の戦いは生きて再びかえれぬ身であるが、故に亡き人の仲間入りをする名前を残して出発しますとの意)
4月8日(金)
昨日に続いて今日は、小学校の入学式に参列。生徒数は61名。野町行政区の子どもはその中で18名。中学校の入学式とはうって変わって可愛い、可愛い入学式。
一人一人の名前が呼ばれるのかと思ったら、それはなくて、保護者にとっても残念なのでは?と思ったのだが・・・。私の母校でもある水田小の校歌はしっかり歌われ、私も口ずさみました。
4月7日(木)
筑後中学校の入学式に参列。入学生徒数は154名。一番下の子が中学校を卒業して3年経つが、クラスが半減していたのには、びっくりした。校長先生は入れ替わり、しかし懐かしい我が子の担任だったI先生が、新1年生の担任となっておられる。
式の中では、先輩中学生の歓迎の力強い言葉が一番良かったかな?校歌は、とうとう歌われず、残念。
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